FC2ブログ
戸(のへ)のつく町から...

戸(のへ)のつく町から...

いつも一緒のPENTAX Q7と時々一緒のCanon eos80Dで青森(たまに岩手)の日常を撮ったPHOTOログです♪

 

岩手県二戸市に四戸城跡を訪ねて…

戸(のへ)のつく町から…という名前の当ブログ。
青森県から岩手県にかけて一戸から九戸まで地名はあるけど
四戸だけ残っていない(理由は諸説ありますが…)
この日は四戸城を訪ねて岩手県二戸市へやって来ました。
とは言っても車で15分くらいなんですが…


四戸城(別名 金田一城)…以前より話には聞いていましたが
実際にこの目で見てみようとやって来ました!
長寿寺の駐車場があったのでそこに車を置かせてもらって徒歩で向かうことに…


IMGP9417-1234.jpg
山門へ続く階段の手前を右に進むと八坂神社との別れに…
それを左側に進んで2か所石段を登ると写真は敢えて撮らなかったけど
長寿寺の墓地へ出ました。


IMGP9420_R.jpg
かなり広いところを歩いて探していると
墓地が途切れたあたりに何やら大きな石と看板のようなものが…


IMGP9423_R.jpg
近づいていくと四戸城跡と記されている碑とその隣に大きな石が…
この石は『べこ石』と呼ぶらしいけどどうやら由来は分かっていないようです。
今となっては四戸城が存在していた唯一の遺構といっていいのか…


IMGP9426_R_20161201222100f53.jpg
残念ながら説明看板の文字がほぼ消えているんですが
何とか書いてある文字を拾っていくと…
四戸城は上館、中館、下館の3つの曲輪からなっている。
南部氏の一族とされる四戸氏の居城であったが、
四戸氏がいつ頃から当地に居住したのかは良く分かっていない。
戦国時代末期、城主四戸宗泰の妹は、九戸城主九戸政実の妻で、
また宗泰の妻は政実の叔母であった。
四戸氏は、二戸地方で絶大な勢力を持っていた九戸氏とは親しい間柄であった。
しかし、天正19年(1591)の九戸の戦い(九戸の乱:九戸城参照) を前に、
四戸宗光(宗泰の嫡子で当時城主)は、弟金次郎の流言のため秋田へ逃れ、
病死した。そのため、 四戸城は九戸方に対する南部信直方の居城となり、
九戸の戦いの後、廃城となった。
と記されているよう…


IMGP9424_R.jpg
この地に四戸城なるものがあったなんて…一体どんなお城だったのか
今となっては知るすべがないのが残念です!


IMGP9431_R.jpg
ご覧のように辺り一帯は墓地!
早い時間だからまあいいようなもののお騒がせしちゃうと
アレなんであまり長居しないで帰ることにしましょう(^^;


IMGP9430_R_20161201222102a10.jpg
しかしこの景色を城主も眺めていたのだろうか…!?

IMGP9414_R_20161202042243e79.jpg
帰りに立ち寄った長寿寺と…

IMGP9416_R.jpg
長寿寺山門からの眺め…
四戸城があったとはいえここが以前四戸と呼ばれていたわけではなくこれも諸説あるようだが
五戸町浅水から八戸の櫛引八幡宮(以前は四戸八幡宮と呼ばれていた)辺りまでの
かなり広い地域が四戸と呼ばれていたという説があります。
一戸から九戸までの並び方を見ればいかにもと
納得してしまう並び方なのだが果たして…!?







いつもポチッとありがとうございます♪
にほんブログ村 地域生活(街) <br>東北ブログ 岩手県情報へ

にほんブログ村

関連記事

 
 
Comments
 
知らんかった。
青森って、一戸から九戸まであるんですか!
その地名も、代々の豪族の名前なんですねー。
初めて知りました。
 
城跡・・・。
石がドーンというのも
趣が・・・。

墓地というのは
驚きでした(;^_^A
 
九戸まであるのは知ってましたが、四戸がないとは知りませんでした
四だから墓地? ただの偶然
空き地と墓地とは・・・なにかあるのでしょうか・恐

新発見ですね
みんなに自慢できます・笑
onorinbeckさんへ♪ 
実際には青森は三戸、五戸、六戸、七戸、八戸で
岩手が一戸、二戸、九戸なんですよ!
調べていくとまあ諸説いろいろ出てきまして
それが面白いんですけどね♪
ジョニママさんへ♪ 
何のための石でなぜそれが
べこ石と呼ばれているのか…
気になります。
周りがかなり大きな墓地であまり遅い時間に
行っちゃいけないようなところでした(^^;
Photo cafeさんへ♪ 
そうなんですよ!
戸がつく地名の由来とか四戸だけ地名にないことも
いろいろ諸説ありましてまあちょうど四戸だけないっていうところも
話しを面白くさせちゃってるんですよね~(^^;
是非、どや顔で教えてあげてやってください(笑)

 
懐かし~い!!
城として機能していた時にこの石はどういう存在だったのかなあ・・・。
庭石代わりか祀られていたのか、ちょっとした謎ですね。
 
おおぉ凄い!櫛引辺りがかつて四戸と呼ばれていた事は知っていましたが四戸城なるものが存在していたとは驚きです。しかもそれが二戸にあるとは。歴史って本当に面白いです。
たぬさんへ♪ 
城跡巡りしているときにいらしたことあるんですね!
その当時からこの場所にあったんですよね!
城がなくなってもこの石だけそのままっていうのも面白い
名前の由来も気になるところですね^^b
いかさばさんへ♪ 
調べてみると現在の五戸町浅水を本拠としていた
四戸氏が南部領南方の守りや、九戸氏の勢力の拡大などに対処する為に
四戸城をこの地に築城させた…とあります。
五戸町の浅水から櫛引のあたりまで広範囲が
四戸と呼ばれていたという話もあるし
歴史は調べ始めればホント面白いですね^^
面白いですね~^^ 
先日訪問営業に来た冠婚葬祭の女性の名刺を見て驚きました。なんと、「四戸」さんでした。
出身だそうです。珍しい名前は営業に向いているとおもいました。しかし私は別なところに予約していまして事情を話しながら東北の話が楽しかったです。元妻が三戸でしたから・・・汗)実家は一関市でした・・今は・・昔は千厩でしたねー。☆。!
荒野鷹虎さんへ♪ 
なんと四戸さんがいらっしゃいましたか!
しかも元妻が三戸出身という事でビックリいたしました。
なにかと戸のつく町にご縁が…^^
戸のつく町同様、千厩も馬とは密接な関係があるんですすよね!
地名も掘り下げていくと何かと面白いですね!
長年のナゾが解けたのっす 
すんません、金田一のほうに「四戸」があることを初めて知りました。
ありがとうございます。
・・・ただ、うちらが知らなかっただけなんですがはじめっち

陸羽街道の浅水だとか、名久井だとかいっても決定打さなくて、
本にゃ、南郷村のほうにあるとかふりまわされたのっす。
やっぱし「四戸」あってよかったのす。
・・・これから全コメント読むすゆたか

「四戸」が岩手県にあったとは驚きです!
・・・でも同じ「南部」だしみならいかのん

あたいはむずかしいことはよくわかんないけども、
三戸のあたりを「タカアンドトシ」が飯屋探して歩いてるテレビみたのだ。
・・・テツアンドトモかもなのだつるみん
はじめっち&ゆたか&みならいかのん&つるみんさんへ♪ 
はじめっちさんへ…
金田一にあるのは四戸城であって地名があったっていう訳ではないと思います!
黒豆の件ありがとうございます!道の駅にも寄ってみます^^b

ゆたかさんへ…
私は櫛引から浅水にかけての広い範囲がかつて四戸だったという説推しです。
櫛引八幡宮もかつて四戸八幡宮と言ったようですし

みならいかのんさんへ…
岩手の金田一にあったのは四戸城…あくまでお城です!

つるみんさんへ…
えっ!そんな番組が…!?う~ん、観たかった
べこ石について 
なんか見たことある…と思って(ココ以外の場所で)べこ石について調べてみました。

べこ石は東北地方に何箇所かあるみたいですね。
そして東北以外にもあるようです。

牛のようにどっしりした神様のような石に儒教の教えや炎帝神農氏を彫って祀っていたとある地方の『べこ石』の説明看板に書いてありました。

四戸城のべこ石もそうなら、ここまで儒教の教えが届いていたということなのかもしれませんね。
銀河鉄道の夜さんへ♪ 
べこ石について調べてくれたんですね〜
まさか儒教が関係してくるとは...面白い!
勉強になります!自分もチョット調べてみます
コメントありがとうございます!

 
<-   09 2023  ->
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
プロフィール

fourdoor0810

Author:fourdoor0810
当ブログへご訪問いただきありがとうございます♪
とある戸(のへ)のつく町の住人です。青森から岩手にかけてある戸(のへ)のつく町の魅力を少しでも伝えたい…って言うのはあくまでも目標で気が多いのでアレもコレもになってしまいますがほぼほぼ私的備忘ログ的内容でおおくりします♪どうぞゆる~くお付き合いの程を…よろしくお願いします^^

にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 青森県情報へ
にほんブログ村

青森県 ブログランキングへ

ご訪問に感謝です~♪
フリーエリア

Archive RSS